久々に外に出たこともあってか、フェニックスのリーダー、シエラ・セレニティの気分は良好だった。おそらく先ほどため込んでいた感情を魔力によって晴らしたせいもあるのだろう。彼女は特にこのフェニックスの中でも甚大な魔力を有しているから、時に放出しないと面倒な事になるのだ。
「さて、これからどうするの?」
 隣を歩くフェニックスの副リーダー、ヤナ・ロイストにそう問いかけた。ヤナは相変わらず感情の乏しい表情をこちらに向けてくる。
「俺はまだ調べる事があるから」
 彼はそう言って、校舎へと視線を向けた。おそらく、崩壊した校舎内で、徘徊している魔物達に関する調査をするのだろう。
「そう。気をつけてね」
「ああ。そっちもな」
 二人は校舎までの道を行くと、そこで軽く言葉を交わして別れた。
 ひとりになったシエラは、さて、これからどうしようかをその場に立ち尽くして思案する。日差しも随分と彼女にとっては強く感じられたし、館に戻るのもありだろう。
 そう考えていたシエラは、ふと、ここを通る時に聞こえていた筈の幾つもの爆発音が途絶えている事に気がついた。
 おそらく戦闘は無事終了したのだろう。目を静かに閉じて、僅かに残る魔力の残滓を探る。
 彼女が望んでいたものは、彼女が立っている場所よりも少し離れた所で見つかった。
 良く知るその気配は、微弱ながらも感じる事ができる。
 少し前に彼女が魔物討伐へと送り出した、アレン・トライザム。
 フェニックスで三番手の彼は、シエラと違って、魔力の扱い方が非常に上手かった。少なくとも学園の崩壊前から一緒にいて、魔力を暴走させた事は、彼女の知る限り一度しかない。
 折角外にいるのだから、様子でも見に行こうか。シエラはこれからの行動をそう決めると、ゆっくりと足を践み出した。
 ひらりとレースで彩られた彼女のスカートが揺れる。

 *

 消えかけた道の上をゆっくりと歩いていく。あちこちに転がる瓦礫を避けつつ歩いていくと、耳にさらさらと水が流れる音が微かに届いてきた。
 そして、自分のグループ以外の魔力を感じ取る事ができる。おそらく、アクエリアスによる、癒しの魔法だろう。柔らかい波動だ。
 そしてまた足を踏み入れていくと、今度は水音に混じって、ぽつりぽつりと会話が聞こえてくる。
「あのぉ、これむしろ、皮膚が裂けたときよりも痛いんですけど……」
「え? 何か言いましたか、アレン?」
「い、いえ何にも言っていません。……ちくしょー、ノイスターは直ぐに済んだのに……絶対嫌がらせだ」
「何か言いましたか? 治してもらってる分際で」
「いいいいえ何も言っていません、言っていませんからその手を離してください……!」
 相変わらずの会話の内容に、自然とシエラの口元が緩んでゆく。カインとアレンの迷コンビっぷりは、シエラも知っていたからだ。
 だが次の言葉で、緩んでいた口元は一気に引き締められた。
「真面目な話、これ以上強い治癒の魔法にすると、あなたの体がもたないんですよ」
「ああ……分かってるさ」
 それきり、二人の会話は途切れていた。
 今回の討伐はそれだけ危険だったのか。
 僅かに焦りのようなものが、胸の奥にたまる。さく、と草を踏み分けると、一気に目の前の視界が開けた。
 ああ――。
 シエラは目の前に広がる光景に、足をそれ以上動かすことができない。
 小川の中では随分と深く、そして広い川。ひっきりなしに水が流れる音がその場に響いている。
 その小川に、アレンは仰向けになって浮かんでいた。
 シエラに背を向けて立つ人物は、おそらくカイン・ファウストだろう。見たことのある背中だ。
 シャツとズボンだけを身につけたアレンは、カインの魔法に支えられながら、目を閉じて水に浮かんでいる。遠目からではよく分からなかったが、彼の顔には幾つもの鬱血のあとが見て取る事ができた。
 それは、魔力を許容量を超えて過剰に放出した時、耐えきれなくなった体に起きる現象だ。よく見れば、シャツの右部分はどす黒い赤に染まっていた。
 それはまるで――あの時のようで。
「あ」
 川のすぐ側で、大きめの瓦礫に腰を下ろしていた少女が、こちらを振り向いた。そして、シエラを目にして驚きにその目を丸くしている。
「おや」
 少女の驚きに気がついたのか、カインが魔法を発動しつつもこちらを振り返った。そうして彼も珍しいものを見たかのように、僅かに口元を緩めていた。
「アレン。お客さんですよ」
「お客さん?」
 カインに声を掛けられ、訝しげに聞き返したアレンの目が開かれた。そしてその視線がゆっくりとこちらへと動き、口を開いたまま動きを止めている。
 見つかったものは仕方ない。シエラは小さく息を吐くと、アレンのもとへと足を運んだ。
「どうした?」
 アレンは水の上に横たわったまま、僅かに目尻を下げてそう聞いてきた。その右目は白い所が無い程充血している。整っている筈の顔の右半分にはどす黒い痣。そして夥しい血で汚れたシャツ。まくりあげられている右腕の皮膚は元に戻っているものの、裂けていた傷跡ははっきりと残っていた。
「ちょっとした用事のついでよ」
「――そう」
 アレンはシエラの言葉にそれだけ返すと、僅かに眉間に皺をよせた。少しずつ、顔の痣が消えているが、おそらくそれは痛みを伴うものなのだろう。彼はそれきり表情を動かす事は無かったが、何よりも、全く動かない、と言うことがその痛みの大きさを示しているように感じた。
 そしてその後もしばらく治癒の魔法は続き、ようやく彼は小川から出てくる。
「完全に治った訳じゃ無いんですからね。無茶はしないでくださいよ」
「はいはいっと」
 アレンは生返事を返しなが、小川の淵に放り出されていたブーツを拾い上げた。シエラは彼のそばにある手頃な瓦礫の上に腰掛け、彼がブーツの紐を締めていくのをぼんやりと眺める。
 アレンはシエラの視線に気がついたのだろう、ちらりと顔を上げると、困ったように笑った。
「どうした?」
「別になにも」
「――服、汚れるぞ」
「そうね」
 相変わらず自分は愛想が無いと思う。アレンのその表情は明らかに自分を気に掛けてくれているのに、自分はそれに答える事ができない。どうしても。
 アレンは最後に、ブーツの紐を結び終えると、立ち上がりざま、そこに置かれていたコートを手に取った。
 そうして、再び困ったように笑う。そうしながら彼は、シエラの頭に右手を動かして、そして彼女の髪の毛に触れる前にその手を止めた。そしてゆっくりと、その手を元の位置まで戻していった。
「帰る?」
 彼は代わりに、シエラにそう聞いた。
「ええ」
 彼女はひとつ頷いて立ち上がると、カインと少女に小さく会釈し、元の道を歩いていく。彼女の後ろでアレンが小さく挨拶を交わす気配がしていた。
 そして、早歩きで歩いてきた彼は、シエラの隣に立つと、彼女に合わせて速度を緩めた。
「あー、今日は流石に料理できないな」
「……紅茶が飲みたい」
 アレンの言葉にそう返すと、隣で彼が小さく苦笑する。
「あのー、シエラさん、俺の話聞いてた?」
「……聞いてる」
「じゃあね、今日はね、流石の俺でも――」
「ミルクティーが良い」
 シエラはアレンの顔を見ないまま、小さく呟いた。その言葉に、アレンはまた小さく笑った。
「――はいはい、分かりましたよ」
「……」
「分かったからさ、――そんな顔すんなって」
 シエラはゆっくりと横を向いて、アレンの顔を見上げた。
 その声音と同じで、アレンは困ったように笑っている。
「俺はちゃんとここにいるから、な」
「ええ」
 シエラはひとつ頷いた。
 分かっている。彼がいつも困った顔で笑うとき、彼はその奥に虚無を抱えているのを。
 本当は魔物を倒すのは好きでは無いことを。
 それでも、彼の本能は戦うところにあることを。
 自分もアレンも――ひどく脆い生き物である事を。
「夕飯当番はあの子に代わって貰って、今回の事も聞かせて欲しいわ」
「魔物退治?」
「ええ」
「分かった。じゃあ、紅茶淹れたらすぐにいくよ」
 アレンはやっと困った表情を外して、ひとつ頷く。
 そうして歩いている内に、フェニックスが拠点としている館の前にたどり着いていた。相変わらずそこは人気が無い。
 シエラは入る前に、くるりとアレンへと顔を向ける。
「ん?」
「私は――あなたよりも血に染まってる」
 そう告げた時、初めてアレンの表情が歪むのが分かった。久方ぶりに目にする、仮面を外した、その表情。
 シエラはアレンの言葉を待つことなく、くるりと振り返って館の中へと足を踏み入れる。
 後ろでアレンが何かを呟いていたが、シエラの耳にはそれはきちんとした音を成して届くことは、無かった。



 フェニックスのリーダー、シエラと、三番手アレンのどこか歪んだ関係性。 
 二人はお互いが安定剤。