狼と少年編



辺りには闇が立ち込める中、とある一点だけがぼんやりと光っていた。
 アディソン・マックライトは少し離れたところから、それをぼんやりと眺めつつ、ギターをぽつぽつと弾いていた。
 曲にならない音が、砂をまき上げる音の静寂を崩して進んでゆく。
 今日は三日月。新月の時のように完全に暗いわけではなく、周りが見える程度には明るいのだが、アディソンの目には、あの赤くぼんやりと光る――自分の所属する隊商のテントの中心にある焚き火以外には、砂の大地しか映ることはなかった。
 そう、ここ、ライディア大陸は、四方を全て山に囲まれ、その中心に位置するのは一面の砂漠なのだ。
 昔は、この土地には緑もあり、王国もあった。
しかし、約百年程前、突如この国を原因不明の天変地異が襲った。
たくさんの命が奪われ、人々は逃げ惑った。
そして、天変地異がおさまり、生き残った人々が目にしたものは、かすかな森とオアシスを残し、乾ききった土地となってしまったこの大地だった。

 それでも、残された人々は、生き残ったオアシスや森などに身を寄せ、細々と暮らしている。
 
だから、ここにいる広人々は、皆同じ考えを持っているはずだ。



 
 ここにいる人間たちは、確実に滅びの道を辿っているのだ、と。



「アディ」
「……何だ?」
 足音と、自分を呼ぶ声と共に、一人の男がギターを弾くアディソンの横に座った。彼は短い茶髪を青いバンダナですっぽりと覆っている。
 行商人は皆、砂よけのために頭にフードやバンダナを被ったりしているのだ。
 茶髪と同じ目に穏やかな光を宿した彼――エルネスト・マグナスは、静かにアディに微笑みかけた。
「また、ギターを弾いているのか」
「……ああ」
 アディソンは、エルネストに話しかけられても、ギターの手を休めることはしなかった。彼のギターは普通のギターのサイズとは違い、持ち運びしやすいように、少し小さめだ。その分音が高いのだが、それがかえって悲しげに寂しげに聞こえるので、アディソンはこのギターが密かに気に入っていた。
「お前は、闇が怖くないのか?」
 何か不気味な音色を放つ、この砂漠の風の音が。エルネストも先程アディソンがやっていたように、ぼんやりと焚き火の見ているようだ。
「怖いといえば、怖いが、俺はここからああいう焚き火とか、人が話しているのを見るのが好きなんだ」
「そうか……。どうも俺には理解しがたい感情だ」
 エルネストは苦笑した。その顔には、半分以上諦めが浮かんでいる。どうやら、アディソンを人々の話の輪に入れようとしてここに来たようだ。
 まあ、確かに人と話すのは嫌いではないが、こうやって色々と考える時間は、アディソンにとって何物にも代えがたいものだ。その時間を捨ててまで、人と会話をしようという考えは、アディソンにはない。
「それはまあ、個人の好きだからいいんだ。お前に言おうと思ったことがあってな。明日辺りにはセーヴルの村に着く予定だぞ」
 ちなみにエルネストは、この隊商のリーダーだ。隊商の中でもひときわ風を読んだり、方向を読んだり、地図を読んだりするのが得意だ。彼はまだ二十八と若いが、彼はこの隊商の皆に慕われている。
「そうか。セーヴルは、森に囲まれた村だったな……」
「そうだな。木材は、全てここから出荷されているな。あと、剣などの武器もたくさんあるぞ」
「そうか。木が豊富だから、それを使った産業、ということなんだな?」
「そうだ」
 ライディア砂漠にあるそれぞれの距離は、かなり離れている。また、それぞれの村や街で生産できるものも限られている為、それらの村や街をこういった隊商が行き来し、つなげているのだ。
「武器か……。エルは、買うのか?」
「ああ。剣が大分刃こぼれが出てきたしな。お前は……って、お前はいらねえな」
 ははっと笑いながら頭をかくエルネストの横で、アディは不敵に、静かな微笑みを浮かべた。
 

 翌日、太陽が大分高く上がった頃に、エルネストが言っていたセーヴルの村が見えてきた。
 砂埃の隙間からは、木、そのままの質感を残した家々が建てられているのが見える。これはこのライディアではとても珍しいことだ。普通、ライディアでは木々は貴重品なので、布張りのテントか、砂を特殊な製法で固めてレンガにしたものを使っているからだ。
 そして、家々の奥にうっそうと緑色の森が広がっているのが見える。あそこで水源が確保されているのだろう。
「……何時見ても、見事だな」
 アディソンが発した呟きが案外大きかったのだろう。前方にいたエルネストが振り返ってにやっと笑った。
「ああ、俺もここに始めて来た時は驚いたぜ。なんせ、ここまで木が生えてるのはここしかないからな」
「……そうだな。……ここまでは届かなかったのだろう」
「何が?」
「いや、……ただの独り言だ」
 その時、ひときわ大きな風が吹いた。ラクダにのせていた荷物のうち、きちんと留まっていないものが空に飛び、人々がかぶっているフードやバンダナが空へと舞い上がる。
 仲間達は、このような風が吹くことに慣れてはいるが、大事な荷物が飛ばされたことに慌て、荷物が傷まないように走り出した。
 だが、アディソンの頭にかぶっているバンダナは舞い上がることはなかった。
 それどころか、着衣が風に乱れている様子もない。
 まるで、アディソン一人、時間が止まっているかのように。
「あーあ……」
 アディソンは荷物がきちんと留められていないことに少し呆れつつ、ぼそりと呟きながら飛んでいる荷物に向かって手を突き出した。するとその荷物はピタリと止まり、なんと、風の吹いている方向に逆らって再びラクダの背中の上に舞い戻ってゆく。
「……毎回、お前がこうやるのを見る度に、俺はお前が魔導士だということを思い出すよ」
「……俺はそんなに魔導士に見えないのか?」
「ああ、まったくだ」
 首を傾げたアディソンにエルネストは大きく頷いた。
 まあ、それもそうだ。魔導士とは、アディソンのように風を操ったりする魔法を使えるもののことを指すのだが、もともと魔法を使える者自体が少ない。理由としては、それを伝えるものが少なくなってしまったからだ。
 魔法は、精神力を高める修行と、魔法言語と呼ばれる特殊な言語を習得しなければならない。昔は、魔導士を養成する学校などももちろんあったのだが、王国が滅び、大陸が砂漠に変わったあの天変地異の時に、その学校もなくなってしまい、今ではわずかに残った魔導士が、細々と教えているだけなのだ。
「そうか、じゃあ俺は、毎回あちこちを破壊していかなければならないのかな?」
「いや、うちの隊が激しく危険視されるからやめてくれ……」
 二人が冗談を言い合っている間に隊は一層村へと近づき、隊商の存在に気付いた村人が、大きく手を振って隊商を迎えに出た。


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