再び、俺達の隊商は、強風吹きすさぶ風の中、セーヴルの村を訪れた。
「いつ見ても、この森はいい」
「何だか今日は、ご機嫌じゃねえか、アディ。何だ、女でも出来たのか?」
 エルネストがにやにやしながら、アディソンの脇腹をつついた。
「何だエル。お前は俺に氷漬けにされに来たのか?」
「いやいや、俺はアディ君のご機嫌な理由を知りたいだけで」
「そうかそうか。俺に火炙りにしてもらいたいのか」
「いやいやいや」
 慌てて砂を蹴る大きな音を立てながら、後方五メートルくらいにエルネストは下がった。心なしかその顔は引きつっているようにも見える。
 それを見て、アディソンはため息をついた。
「……何で同じエルなのに、こっちはこんなに邪悪に見えるのか……」
「あ? 何か言ったか? ご機嫌なアディ君」
「……ηιψομοεαγαρε」
「あー、ちょっと待て! 不意打ちはないだろ! 俺が悪かった! 熱い! 熱いったらー! 誰か止めてー!」
「残念だがエル君。魔法というのは、普通の人には消せないんだなあ、これが」
 異様な光景を目の当たりにした村人達は、振っていた手を止め、笑顔を引きつらせていた。




 再び大忙しの仕事を終えた昼下がり、アディは再びエルヴェシウスの家を訪れようと、街の通りを一人で歩いていた。
 砂漠の昼間は暑い。ここは、森があるからまだいいものの、砂漠の真ん中に出た時などは、火傷をしない為に、冬のような格好をしなければならないのだ。
 生まれつき砂漠に住んでる人は、砂漠などの暑さ対策に、汗腺が多く、あまり暑さを感じないものなのだが、残念ながらアディソンは生まれつきではないので、随分慣れたとはいえ、雲ひとつない晴天下は体にこたえる。
「エル、エル」
 目的地についたアディソンは、扉をノックしながらエルヴェシウスの名を呼んだが、しばらく経ってもエルヴェシウスが出てくる様子はまったくない。
 一刻も早く中に入りたいアディソンは、試しに扉を押してみると、鍵はかかっていなかったらしく、扉は開いた。
 部屋に人の気配はなく、またカザルスもいない。机の上には、図面と、鎖などが置いてあった。
 覗きこんでみると、図面には一人の女神のようなものが描かれている。手を差し伸べ、その手には光のようなものが浮かんでいる。
 かなり細かく書き込まれていて、立派な芸術品のようだ。
(これがあいつの考えた図面なのか……。見事だな)
 その隣には、その図面をそっくり彫りこんだネックレスがある。小さな楕円形のネックレストップに彫られたそれは、かなり精巧に出来ていた。
「すげえな……」
 思わず感嘆の声を漏らしながら、その隣を見ると、そこには、一対の小さな羽根のようなものが彫られた円形の小さなピアスがあった。
 思っていた以上の出来栄えに思わず手を伸ばそうとした時、足に何かが当たった。
「ん?」
 なにかの工具かと思ってそれを屈んで拾い上げた瞬間、体中の血がさあっと引いていくのが感じ取れた。
 それは、工具ではなく、一本の注射器だった。
(うん、多分そうだと思う)
 アディソンの頭の中に、あの時感じた違和感が再び甦ってくる。
「まさか……」
 アディソンは、エルヴェシウスが生活スペースだと指差していた扉を押し開けた。
 自分の思っていた通りにならないことを祈りながら。
 だが、自分が目にした光景は、自分の思っていた通りのものだった。
 床に散らばる、沢山の注射器。
 同じく散乱する、何かが入っていたと思われる小さな袋。
「まさか、あいつ、父親の代からそうなのか……!」
 あの時、彼の震えていた手。
 曖昧に濁した、父親の死因。
 アディソンは、乱暴に扉を開けると、再び大通りへ出た。通りがかる人に、病院の場所を教えてもらい、走り出す。
 どうして、気付かなかったのか。
 どうして、素直なあいつが、そんなことを。
 アディソンの頭の中は、まともな思考も出来ないほどに、混乱していた。

 ライディア大陸では、とある薬物を使うと、幻覚を見せたり、開放感を与えたりすることが出来るらしい。その薬物は、最初は飲むだけだが、次第に耐性がつき、効果が薄れてくると、それを水に溶かして熱し、蒸気にして吸い込む。そして、最終的には、注射器で静脈に打ち込む。そこまで来ると、完全に中毒症状だ。
 王国があった頃は、もちろん規制されてきたが、王国が失われ、治安が悪化し、村々での規制の効果もなく、目を盗んでその薬物を得ている人は年々増えていると言われている。
 確かに、この滅びという絶望を前に、快感を得られるという効果にすがる気持ちもわかるが、それには副作用があり、脳の機能がだんだんおかしくなっていくらしい。そして、かなりの強さの依存症。
 歩けなくなり、喋れなくなり、ついには呼吸が出来なくなり、死に至る。
 喋れなくなった時点で、もう手遅れになるのだ。
 もしかしたら、父親はそれで死んだのかもしれない。
 そして、エルヴェシウスは――。
(間に合ってくれ!)
 アディソンは、心の中で必死に叫んでいた。


 大通りを左に曲がり、しばらく行くと、「病院」と立て札のついた建物が見えた。ここままた全て木材で出来ているようだ。一階建てだが、かなりの広さがある。
 アディソンは受付に行き、エルヴェシウスという人間がここにいないか、と尋ねると、しばらく受付の人が名簿とおぼしきものを調べた後に、彼がいることと、彼の入院している部屋を教えてくれた。
 その部屋は六人の大部屋で、彼の他には誰もいないらしい。
「エル!」
 アディソンが言われた部屋に向かうと、エルヴェシウスは、一番窓際のベッドに寝かされていた。窓には白いカーテンが風を受けてはためいている。
「エル、エル、エル……」
 アディソンは必死に彼の近くで、彼の名前を呼ぶが、彼は目を開いて天井を見つめたまま、一言も言葉を発さず、何の感情も示さなかった。
 あんなに表情を素直に出す彼が、何にも反応しない。
 あんなに輝いていた目が、今では死んだ目になっている。
「どうして、お前みたいな男が……、どうしてお前のような素直な明るい奴が、そんなものに手なんか出したんだよ……」
 唇が、上手く動いてくれない。手の震えが、止まらない。
 どうしてなんだ。
 あんなに、光のような笑顔を見せてくれた奴が。

 だが、考えてみれば、少し分かる気がした。
 ああいう芸術品を作る仕事に携わる人間は、きっと皆、繊細なのだろう。だから、何かで苦しんだ拍子に、薬物に手を出してしまったのか。きっと、幼い頃から彼の近くには、薬物があったのだろう。彼は他の人より、薬物に手を出しやすい環境で過ごしていたんだ。

「俺、楽しみにしてたんだぜ、お前の笑顔を見るの……。柄にもなくよ……」
 唇をかみ締める。口の中で、苦い、鉄の味がした。
「あのー、アディソンさんですか?」
 自分の言葉を呼ばれ、アディソンが振り返ると、大部屋の入り口にいた看護士がアディソンの元に歩いてきた。
「……そうですが?」
「あの、エルヴェシウスさんから、彼がここに運ばれてすぐ、まだ喋れる時に、もしアディソンさんがここに来たら、これを渡してくれって……」
 看護士がそう言いながら、一枚の紙切れをアディソンに差し出してきた。
 そこにはたった一言、激しく震える字が連なっていた。

「あれをつけたアディが見たい」

 アディソンは、それをそっとたたんでズボンのポケットにしまった。
「……あの、エルは、今の様子とかは見えてるんですか?」
「たぶん、見えてるし、聞こえてると思いますよ。ただ、今の彼には、それを表現する力がないんです……」
「そうですか……。ちょっと、エルに頼まれたものを取ってきます」
「はあ……」
 アディソンは、再びエルヴェシウスの家に走っていった。
 あの机の上に置いてあったネックレスとピアスを手に取り、首と耳に着けた。長いことピアスはしていなかったのだが、つい先日、こっそりと穴を開けたのだ。
 唇をかみ締め、再び、アディソンは病院へと向かった。


 再び病室に戻ると、エルヴェシウスは、ベッドを少し起こされ、少し体を起こしていた。
 相変わらず前を見たままで、その顔に表情は浮かんでいない。
「エル」
 アディソンは、エルヴェシウスの真正面にまわって、彼に自分が彼の作った装飾品を良く見えるようにして微笑んだ。
「どうだ? ありがたく貰うぞ」
 病室に風が吹き、カーテンがアディソンの視界を一瞬、遮った。
「あーあ、風が……」
 そこまで言いかけたアディソンは、驚きに言葉を止めた。

 あの表情のなかった彼が、眉を少し寄せ、口元を少し釣り上げ、微笑んでいたのだ。
 そして、その右の瞳からは、一滴の涙が流れ、頬を静かに伝っていた。

 俺は、あの時のエルの精一杯の表情を生涯忘れることはないだろう。
(気付いてやれなくて、すまない――。)


 その夜、アディソンは、あの、エルヴェシウスと出会った場所に再び立っていた。
 今日は、満月だった。木々が月光に照らされ、不思議な色彩を醸しだしている。
 アディソンは、あの時と同じ石に座り、ギターを弾いた。
 すると、後ろで、枝をかき分ける音がした。アディソンがとっさに振り向くと、そこには、アディソンと共にいた、灰狼のカザルスがいた。
「そうか……。エルは、きっと自分がああなる前に、お前を森に行かせたのだな」
 カザルスは、静かにこの場所の丁度中央に立ち、月へ向かって、大きく体を反らせ、一つ、遠吠えをした。
 まるで、エルヴェシウスへの手向けのように。
「どうして、俺に関わる者達、皆こうなってしまうのか……。俺にはまだ迎えはこねえのかなあ」
 アディソンは、ぽつりと呟いた。
 
 それでも、アディソンには分かっていた。
 俺は、歩き続けなければならないと。
 だから、今日も、アディソンは砂漠を行く。
 首と耳にある三つの光と共に――。

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