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ざりりっ、と足元の砂が動く。ごう、と耳元で風が唸った。ルリはその風を耳元で感じながら、後方へと飛び退いた。
風を感じられることは、良い事だ。今は感じられるが、時には風さえも感じられない戦い方を強いられる時があるから。
ルリがぼうと考えた瞬間、上空からひとり、ひらりと、だが全ての重心を木刀に込めて落ちてきた男がいた。
剣を合わせた時、上空に僅かに気の乱れを感じていた。だからルリはその時に分かったのだが、それにしても気の隠し方が上手くなったものだ、と笑む。
「は、アッ!」
気合いの篭った言葉と共に、木刀がずん、と突き出された。今落ちてきた彼は、背が低くて小さいので、身のこなしが軽い。だから、落ちる事によって、重心を一点にため、重さを増やそうとしているのだ。そして、身のこなしが早いから、同じく身のこなしが早いルリと互角に対応出来る、はずだ。
ルリは、に、と不敵に笑むと同時に木刀を斜めに突き翳した。
木刀が立てる鈍い音と共に、二人の動きは再び止まった。だが今度は暫しの睨み合いの時間は無く、二人は瞬時に飛び退いて、再びそのままひらりと、蝶のように宙を舞っていた。
ロイがひらりと舞う、ルリの動きを察知して、その動きを止めるように木刀を突き出した。斜め上に、びゅ、と風を切る音が響く。
「え……?」
よし一矢報いるぞ、と映っているその瞳が、驚愕に染められていた。
ルリはひらりと舞ったその先に待つ木刀を既に察知し、一点を突くように自らの刀を突き出していたからだ。
勝負は、ほんの一瞬、だった。
一点を突くように突き出されたその刀は、ロイの木刀の丁度一番衝撃を受ける部分を突く。
通常の二倍もの衝撃を受けたロイの手は、さすがにその衝撃に耐えられず、その手から木刀を離していった。
ひゅん、ひゅん、と木刀が舞って。
乾いた音を立てながら地面を転がって、いく。
それと同時に、まるで体重が掛かっていないかのような軽やかさで、たん、と小さな音を立ててルリが地に着地していた。
そして黒い、長い髪をくるりと翻し、無表情の中にも得意げな微笑を浮かべてロイを見る。
それを見てか、ロイは、体中の力が抜けたかのように、がくりと膝を地に付き、そして背中から大きく寝転がっていた。
ルリはそれを目の端に捉えながらも、動きを止めることは無い。再び地を蹴ると、軽々と木の幹に吸い付くかのように足をつけ、軽やかに、丈夫そうなその木の幹に上った。
まだひとり、残っている。脳裏で本能的に感じると同時に、前方から軽い足取りで迫ってくる。
ルリは着地点を予想すると、即座に重心を変化させながら飛び降りた。心を集中させて、腕の一箇所に、全ての重心を集める。
迫ってくる彼の目と、ルリの目が、交錯する。その瞬間に、ざわり、と彼女の目の奥でざわめくものがあった。
何かが、彼に被さって二重に映るような、そんな不思議な感覚。
「!」
ルリは、目の奥にその感覚を感じながらも、木刀を突き出した。がつん、と腕に衝撃が奔ると同時に、その男の木刀と交差する。
この感覚は。ルリは本能的に、刷り込まれた感覚で動きながら、一部の脳内で必死にどうしてその感覚が沸き起こっているのかを感じ取っていた。
なぜだ、なぜだなぜだ。どうして「重なる」?
今までの記憶を思い起こす。そうしながらも、足は留まる事無く、左へと飛び退いた。目の端でぽかりと口を開いてそれを眺めているロイを捉える。
再び走りよってきた彼の木刀をしゃがんで避け、立ち上がりざまに横に木刀を振る。それは軽く宙を舞い、再び二人の距離が離れていく。
二人が再び向かい合った瞬簡に、ルリの頭の中で何かが弾けた。
――そうだ、思い出した。先程、目の端で捉えたロイの口を開いた姿と、この前に「闇」の仕事での光景が重なる。
その時、幾人かは武器を持って、ルリに立ち向かおうとした。無論、生き残ることは叶わなかったが。
あの時のルリに、普通の筋力しか持たない人間が立ち向かうことは、生き残る可能性を全否定させる程のものだったのだ。
だから、ルリは訝しく思う。そう、どうしてこの感覚が、あの時のものと重なるのか。
デジャブ、で片付けるには、あまりにも鮮やかなこの感覚。
(まさか、私の隊にも……?)
ルリの頭に、ひとつの疑惑が浮かんだ。
そうこうしている間にも、二人の戦いは続いている。ルリは一歩足を踏み出して、剣を横に振りかぶった。ちょうどその剣の中央部分で、相手の突きがぶつかり合う。
しばし、二人の拮抗した力がその場でぶつかり合う。木刀が、ほんの僅かに揺れる重心を受けて、揺れている。
唐突に訪れた静寂に、彼等の頭上にある木の葉が、さやさやと揺れて音を立てている。些かその場では不釣合いな音が。
ルリはその音に僅かに耳を澄ませ――そして、動いた。
一瞬にして彼女は腕を動かす。すると僅かな均整で拮抗状態を保ちつつあった二人の木刀は一瞬にして離れた。頭上を低くして彼女に襲い来る突きを避けると、そのままルリも木刀を突き出す。それは一番避けにくいと思われる場所、膝下へとぶつかり、ごつり、という嫌な音が響く。
そしてそのまま立ち上がり、身を反対側へと翻しざま、彼の木刀へと叩き付けた。
ごつり、と音が響き、彼の木刀がぽおん、と空へ舞い上がった。そのまま舞い上がった木刀は、重力の力に負け、地へと叩き付けられる。
「……参りましたあ……」
それを見てか、へろりと声を出して、その男性はばったりと倒れ伏した。ルリもその姿を見て、一息つく。
「おー、すげえじゃん、少佐と随分まともに渡り合ってたぜ」
ばったりと倒れ伏した彼に、ずるずると這うようにして、先程倒されたロイが近付いてきた。そんな彼に、男性はにへら、と苦笑を見せる。
「いやいや、そんな事ないって、少佐は本気なんて出してないんだからさ」
その言葉を背に、ルリは、立ち上がって向こうで行われているであろう戦いに耳を澄ませようとしていた。
木刀での闘いは、音が低いので遠くまでは響かない。それでも、誰かが動く足音などが、微かに響いてくる。
「さてはて……どう動けば良いもんだか」
ルリはぼそりと呟きを落とした。
陽が僅かに傾こうとしている頃、ようやく彼等の訓練も終了になった。ルリは、疲れた表情を浮かべる面々を見回し、その疲れの中に浮かぶ、充実感のようなものを見て取りながら、締めの一言を述べ、解散を宣言する。
口々にみずぅ、疲れた、など勝手な言葉を叫びながら兵舎に戻っていく彼らに混じって、ルリも兵舎へと帰っていく。
その道すがら、朝、自分宛てに来ていた手紙の内容を思い出していた。
その手紙は、ミコトからのものだった。