序章
夕陽が、ゆっくりと地平線の向こうに沈もうとしていた。障害物ひとつない、平原に、彼は音ひとつなく、立っている。
そよそよと、草が風にたなびく音が絶え間なく、続いていた。
彼の足元にも草は生えていたが、橙の色の陽に照らされたその草の色は、どす黒い赤に変色していた。
彼の足元だけではない、この辺り一帯、見回せば全て、草が血の色に染め上げられているのだった。
一歩、また一歩。彼は歩んで、ゆっくりと腰を屈めた。その先には、ひとりの少年が横たわっていた。
夕陽が、彼の頬を照らす。既にその頬に血の気はない。彼は無骨な、そして自らも血に染まったその右手をそっと伸ばし、彼の頬に触れた。
――護れなかった。
何があっても、護ると固く、固く心に誓っていたのに。
自分の片方の瞳からは、文字通り、血の涙がこぼれ落ちている。
ゆるり、と彼は瞳を開いた。さら、と彼の夕陽色に染まった銀の髪が、風にそよいでいる。
「……、折角の、顔が、台無しですね……」
少年は吐息を吐くような弱さで、囁いた。ゆっくりと、右手を彼の潰された瞳の近くに持ち上げ、頬に触れた。
少年の体は全て赤黒く染め上げられている。この周辺の草が赤黒く変色しているのも、全て少年の体から流れ出した血と言っても良いだろう。
心臓近くには、ひとつ、大きな刺し傷。その周辺は未だ、紅い血が吹き上げ、流れ落ちている。
その痛々しいほどまでの姿を改めて見、そっと眉を顰めた。
少年はその彼を見て、ゆるく微笑すると、右手をそっと彼の額に当てた。
その瞬間に、彼の身体が、自分のものであって、自分のものでないような感覚を覚えた。
彼は残された目を見開く。少年の笑みが深くなったような気がした。
「……どうして……」
思わずぽつりと彼は言葉を漏らした。少年は再び、囁く。
「最初で、最後の、私の我侭を……聞いて下さい……」
「……」
「お願い、私を使って……」
戦争のない、平和な世界を。
その、少年の決して自分の為に吐き出される事はなかった囁きを聞いて、一層彼は眉を顰めた。
陽の半分以上が、地平線の向こう側に沈もうとしていて。
彼の銀色の瞳に、ひとつの灯が宿っていた。
決して、何者にも屈することのない、強さの輝きが。
決して、希望を捨てることのない、その、輝きが。
彼はそっと少年の頬から手を離し、その場に立て膝をついた。
主君に対する騎士の礼。
「王の、御心のままに……」
瞳からひとつ、血の雫が滴り落ちる。
「そして、我が親友の、為に」
彼はそう言うと、ひとつ手を少年の額にかざした。
あなたはどこに安らぎを求める? 人? 物?
例え生きるにも死ぬにも
どこかに心の安らぎはある
そう、そのためにこの世界は存在する
さあ 言霊を
さあ この剣を
私はただ ただ
戦う為に生きている
そう、この両手を赤く染め上げる為だけに
これから紡がれる幾多もの哀しみは
新たな神話となるでしょう
だから恐れずに茨の道を進もう
いつかそれは生きた証となるのだから