4.世界一


 ○月×日
 今日は月に一度ある、城内全ての管轄の者達が集まっての会合があった。
 この会合は、全ての仕事の報告と、さらに国全体で抱えている問題や仕事の話し合いをするという、とても、とても大事な日なのだ。日頃から王、いやあいつは「俺は花刺子模(ホラズム)、いや世界一の王だ」なんて事を抜かしているが、世界一の王は、こんな大事な日に、朝から城を抜け出したりはしないだろう。
 そう、今日も今朝からあいつは城を抜け出しやがったのだ。護衛が頑張って探すが勿論見つかる訳も無く、「橘将軍、助けてくださいぃい!」と死にそうな表情で縋り付かれ、結局俺が仕事の時間を削ってまで探しにいく羽目になるのだ。
 まったく、毎回部下をわざわざ護衛に回し、さらにその部下から「王の護衛だけは勘弁してください」なんて泣き付かれる身にもなってみて欲しい。
 そもそも、この信越でこの王

「良いじゃないか。ごちゃごちゃ言うなよ」
「うわっ……! 星虎、いたなら返事してくれよ」
 黙々と日記を記していた秋揮は、背後から唐突に掛けられた声に、飛びあがらんばかりに驚きの表情を浮かべた。そのまま勢いでばたりと日記を閉じる。
 後ろで興味津々にその日記を覗いていた、彼の上司である、越(こしのくに)の王、星虎は袖と袖を合わせながら首を捻った。
「それにしても、仮にも将軍のお前がちまちま日記を書いてるなんてなあ……。普通、そういうものは、文官がするものだと思ってたよ」
 あっけらかんとした星虎の言葉に、秋揮はひとつ、ため息をつく。
「……俺はあまり記憶力が言い訳では無いからな。宰相どのからご助言を頂いて日記を付けるようにしているんだ」
「……なるほど、あの宰相も良いこと言うじゃないか」
 たまには、な、と星虎は眉をひそめながら呟いた。かつて、星虎の父とも大親友であったあの宰相は、例え王であろうとも星虎には容赦しない。幼少時からの刷り込みのお陰か、すっかり星虎は彼が苦手なようである。
「宰相殿は博識だからな。星虎がいつ城から脱走したかを記しておけば、いずれ非常に役に立つであろうとおっしゃっていた」
「げ! それって俺を縛り付ける為じゃないか!」
 秋揮が深く頷きながら言った言葉に、星虎はたちまち苦虫を噛み潰したような表情になった。そこに、さらに追い討ちを掛けるように、秋揮は極上の笑顔を浮かべてやる。
「勿論。『自称』世界一の王の部下たるもの、いかな時にも王の事を思っておりますゆえに」
 朝は星虎の脱走劇から始まり、夜には人の所にのこのことやってきて夕餉を催促される秋揮の、嫌味たっぷりな黒いものを含む笑顔。
 たちまち普段は体中に力が漲っている星虎の目から、光が消えていく。
「どうしてこの王城の者達は、皆して俺をいたぶって楽しむのが趣味なんだ? 俺はただ、美味い飯を食いたいだけなのに……」
「……そんなの、星虎が望めばいつだって美味い飯なんか出来るだろうに。それこそ、花刺子模一、のな」
 相変わらずの星虎の言い訳に秋揮が軽くため息交じりでそう答えると、それじゃ駄目なんだ、と星虎の言葉に力が篭った。
 これもいつもの事である。
「良いか! 美味い飯はな、自分で探して、自分で見つけてこそ価値があるものなんだ! 望んで探させるなんてナンセンス! 分かるか、この気持ちが!」
 その後もああでもない、こうでもない、と星虎の「飯論議」は延々と続きそうな勢いである。しかし、これもいつもの事である。
 小さい頃から耳にタコが出来るほどそれを聞いている秋揮は、それを打ち切るように口を開いた。
「で? わざわざ俺の部屋まで何をしにきたんだお前は」
 秋揮の文机に置かれていた灯篭の灯が、ゆらりと揺らめいた。文机の前にある窓からは、涼やかな風が入る。窓の向こうにはぽかりと丸い月。
 そう、もう執務の時間では無いし、秋揮に飯を作れと執務室に入り浸る時間でも無い。そもそも今日は星虎のせいですっかり会合が長引いてしまい、秋揮はほとんど何も食べていない。
「仮にも信越の王だぞ俺は。ないがしろにしてくれるなよ」
「お前、俺が丁重に意見を申し上げると、いつもそれは嫌だと言ってごねるだろうが」
「それはそうだ。何で親友にまで敬われる必要があるんだ」
 星虎は軽い口調で返しながら、よっこいしょ、と文机の隙間に何かを置いた。そして、布のようなものを解き、その横に、銚子と猪口を置いた。
 やや大きめの布の包みからは、未だに米から湯気が立っているおむすびと、そしてたくあんが幾つか包まれていたようだった。それらが文机の上に転がり出、秋揮は軽く眉を上げた。
 星虎はそんな秋揮の横にどっかりと座ると、大らかな笑みを見せた。
「厨房に忍び込んだらさ、今日秋揮さまが来られなかったのよ、って塩むすびを作って持ってけ、と押し付けられたのさ。さ、飲もうぜ」
「……ああ
 星虎はそう言いながら、早くもおむすびに手を伸ばしている。秋揮は猪口に酒を注ぎながら、小さく口の端を上げた。
 おそらく、この世界で一番厄介事を持ち込んでくる王に、毎日それに付き合わされる臣下。
 怠け者で寝ることが大好きで、監視が張り付いていないとロクに仕事をしないくせに、さりげないところで気配りを見せる。
 そう、秋揮にとっては世界で一番の上司で、――そして一番の親友なのだ。
「……今日は晴れてるな」
「ああ、月が良く見える」
 ぽっかりと黄色い月は、柔らかい光を二人に落としている。