6.手袋


 その日の二人は、ちょうどなだらかな山を登っていた。乾いた赤茶色の岩肌に、短い背丈の草木。その中を二人は、黙々と歩いていく。
 時間はもう夕方よりも夜に近く、今まで赤と青が混ざり合っていた空もほとんど黒に近付いている所だった。
「……今日はもう休むか」
「そうだな」
 二人の内、前を歩いていた、長身でがっしりとした体格の、茶色い髪の男が、前方に開けている場所を示して言った。後ろを歩く男も、それに頷いた。
 二人は平らに開けている空間に辿り着くと、背負っていた大きな荷物をそれぞれ下ろし、手早く野宿の準備を済ませていく。
「……あ、みてキー。街が見えるよ」
「……ああ」
 周りにある折れた木を集めていた男が、小さな歓声を上げて、茶色い髪の男を呼んだ。キーと呼ばれた男は、コップを手に視線を上げて、ひとつ頷く。
「ライ、先に火を点けちまわないと、真っ暗になっちまうぜ」
 キーはもうひとりの男にそう言うと、ライと呼ばれた男はそうだった、と慌てて木を拾うペースを上げ始めていた。
 そうしてキーが夕飯に必要な食器だったり、鍋だったりを出したりしている所に、ライが枯れ木を集めたのを置いて、手早く火を点ける。
 そこへ、火が風によって消えるのを防ぐために、丁度良い大きさの石を探してきて、丁寧に積み上げた。そして、その積み上がった石に、手際よくキーが鉄の棒を通し、そこにポットを置く。
 パチパチと火の粉が舞う中、二人は黙々と、けれども素早く夕飯の準備を進めていった。
「本当に、街が良く見えるな」
「うん。さっきよりも家の灯が増えてるんだな。ぽつぽつと灯っている光が綺麗」
 ライは下を見下ろしながら、袋の中から取り出した茶葉を小さくて粗い目の布に包む。その横でキーもごそごそと袋をあさり、赤いチェックの布のかたまりを取り出した。
「とりあえず、今日はこれを先に食べるか」
「そうだな。長く置いておいて腐ったら申し訳ない」
 そう言って頷いたライに、赤い布の包みがひとつ渡される。ライはそれを受け取って、そっと開いた。そこからは、丁寧に作られた、薄切りの鶏肉とレタスと赤いトマトを挟んだサンドイッチが現れる。
「今回の街は良かったな。良い人たちにも出会えたし」
「……そうだな。親切だったな」
 二人は街の灯を見下ろしながら、サンドイッチを口へと運んだ。昼前になって街を出る時、にこにことサンドイッチの包みを手渡してくれた女性の姿が脳裏に浮かぶ。
「そういえば、手袋を渡されたんだっけ?」
 キーが街の灯を見て思い出したかのように聞くと、ライはひとつ頷いた。袋の中から、一対の手袋を取り出す。
 それはビロードのような上物の、茶色の皮手袋だった。二人が見下ろしている街で、数日間滞在している間に、ライが出会った少女のものだった。
 その少女は、ふくよかな母と二人で、小さな家に暮らしていた。少女は母を手伝って、食堂を手伝っていたのだ。ライはキーと別行動の時にこのお店に入って、そこで少女と出会ったのだった。
 その街には久しく旅人は訪れていなかったらしい。ライはたちまち少女に質問攻めにされて、昼食が出てくるまでの間、すっかり少女に掴まってしまったのだ。
 別に隠している事でも無かったので、聞かれるままに素直にライは答えていた。自分達は、ここよりずっと北の国からやってきた、という事。ちょうどいま、巡礼の旅の最中だという事。少女にうながされて、ホタテの貝殻も見せていた所に、母がやってきて、昼食を置きながら懐かしそうな目をしていた。
(うちの旦那もね、巡礼の旅に出て行ったんだよ。出て行ったきり、もう何年も帰ってこない)
 頬を上気させてライの話に聞き入っていた少女は、その言葉にハッとしたように顔を上げた。そして、思い出したかのように仕事に戻っていったのだ。
「これはどうやら、巡礼の旅に出て行った父親がくれたものらしい」
「……道理で小さいわけだ」
 キーな納得したかのようにそう言った。そして、沸騰して湯気が出てきたポットを取り、茶葉がくるまれた布が入っているカップに、お湯を注いでいく。
「父親は、幼い頃に巡礼の旅に出て行って、まだ帰ってこないらしい」
 ライの言葉に、一瞬だけキーの動作が止まった。ライのカップにもお湯を注いで、そのまま地面にポットを置く。
「つまり、探せって事か?」
「いや。まあ、それもあるんだろうけど」
 キーの声音が幾分厳しいものになるのも仕方が無かった。
 巡礼の旅とは、遥か西の、海の先にある島が終着点だ。その教会までの道のりは長く、険しい。だから二人は巡礼の旅の行く先々で、出て行ったきり帰ってこない家族の捜索を頼まれるのだ。
 故郷の捜索だけは引き受けている二人だが、これまで街では引き受けることをしなかった。果てが無いからだ。
「あの子は旅に出ることを夢見ているみたいだった。でも、自分はこの街で、父親が帰ってくるのを待たなきゃいけないって言っていた」
(――だから、私の代わりに、これをお供に連れて行って欲しいの)
 出かける前、最後にその食堂に寄ったライは、少女にそう言われて手袋を渡された。ライは手袋を見つめる。
 その手袋は、使い込んだ痕があった。ここも故郷よりかは幾分マシとは言え、それでも冬は冷え込む。ライも、冬には手袋が欠かせない。
 おそらく少女は、冬に外での作業を素手でやる事を覚悟して、厳しいことを知っていながら、それでもライにこれを渡してきたのだ。自分の分身として。
 そう思うと、ライはそれを断ることが出来なかった。手袋を受け取った横から、少女の母が気をつけてね、と言いながら赤い包みを渡してくれた。
「――なるほどな」
 キーはライの話を聞き終わると、それだけ呟いて小さく笑った。それきり、二人は無言で街の灯を見つめる。
「絶対、辿りつこうな」
「ああ」
 ライは手袋を握り締めて、確かに決意の言葉を呟いた。
 そうして二人は長い旅路を行く。
 終着点の教会まで。

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