9.フラスコ
私が彼の事を思うとき、決まってフラスコがセットで思い出される。
細長くて、ころんとしてて、透明で、少しだけ彼が持つと魅惑的に感じる、魔法の道具。
今日だって、そうだ。私が彼の所に向かいながら廊下を歩いている時、一緒にフラスコを思い出している。
それはきっと、二人で過ごす時に必ずフラスコが出てくるからだろう。そんな事考えながら、私は化学準備室のドアを開ける。
「こんにちはー」
そう声を掛けながら中に入った。壁の一面には、天井まで届きそうなくらい大きな本棚がくくりつけられ、私には読めそうも無い本達が沢山詰まっている。
そして反対側には、大きな机がひとつと、細々とした雑貨達。
そして、少し古びた椅子に座る、先生。
「おう。きたか」
少しだけぼさぼさの黒髪を手で撫でつけながら、いつものように彼はに、と小さな笑みを見せた。
「今日もさ、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだよね」
彼はそう言うと、よいしょ、とオヤジくさい一言を吐きながら立ち上がった。まあ実際、私から見ればオヤジなくらい年齢は離れているんだけど。
彼は第二化学室に繋がる扉を開けると、こっちこっち、と私を呼んだ。
「今日は何するの?」
「ん。ちょっと明後日の授業の予行演習」
理科室の一角、教壇の上には、いくつかの道具が置いてある。ガスバーナーに試験管バサミ。いくつかの薬品の瓶に、そして、今日もフラスコがある。
「ふふ」
私はそれを見て、小さく笑ってしまった。黒板の前に立ち、生徒に配るであろうプリントを眺めていた先生が、私を見てきょとんと首を傾げる。
「どうした? 何か俺についてる?」
「……ううん。違うの」
私はまだ止まらない笑いを抱えながら、そっとフラスコを手に取った。
「あのね、先生と会うとき、大体実験のお手伝いとかしてるでしょ? だから、なんか先生を思い出すと、一緒にフラスコも思い出しちゃうの」
そう言いながら、フラスコを光に翳していた。フラスコが太陽の光を浴びて、きらりと輝く。
「なるほどな」
彼はそう言って、そっと私の横に並んだ。
「俺とのデートがいつも化学の予行演習だから、俺イコール、フラスコな訳だ」
「ふふ。そう」
私はまた小さく笑って、先生の横にフラスコを並べてみた。
「ばーか」
先生はそう言って、フラスコの隣でからりと笑みを見せた。私の大好きな笑みだ。
「さて、じゃあお手伝いを始めてもらいますか」
「はい、先生」
そうして二人は、てきぱきと動き始めるのだ。
これが私と先生との、日常のヒトコマ。