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 広場を脇目も振らずに通り過ぎ、会議所の受付で自分の情報が刻まれている首飾りを面倒ながらも提示して第一会議所に足を踏み入れたルリだが、その楕円形に配置されている濃い茶色の机に座している面々をざっと見て、そこに先程の青年がいない事に心中で首を傾げた。
 この会議は、幹部と呼ばれる少佐以上の階級の者が全員出席する事を義務づけられたものであった。もちろんそれに反すると、規律違反として罰が科せられる。
 ルリは軍の中でも異色を放つ人物であるし、勿論本人もそれを自覚しているので、必要最低限の会議にしか出ない。そんな彼女でさえ足を運んだ会議なのだ。
 ――なぜ、私よりも先に会議所に入っていったのに、ここにいない? だが勿論、その疑問の感情を表情に出す事はない。もともとルリはあまり表情を表に出す人間ではないし、彼女は長年の軍の生活の中で表情までも制御する術を身に付けているからだ。
 ひとまず、一番目立たないと思われる場所、窓から一番距離の離れた、隅の方の場所に陣取る事に決め、静かに足を運ぶ。

 午後の傾いた陽による光は、部屋の中を隅々まで照らす事無く、まるで夜の夕食の灯のように柔らかな光を向け、会議所に落ち着いた雰囲気を醸しださせている。もうすぐ会議が始まるとあって、大分席は埋まっていたが、未だに空席もちらほらと見受けられた。資料に目を通す者、隣の幹部と談笑する者と、寛いだ空気が部屋を満たしている。
 椅子に腰掛け、用意されている資料に目を通している時、気配があり、右隣のまだ空いていた席にほっそりとした手が伸びるのを横目で見て、ルリは顔を上げた。
「……私は目立ちたくないんだが」
 隣の席に座ろうとしていた人物を認め、思わず心底げんなりしたような表情を出してしまう。
「あら、今でも十分目立っているわよ、ルリ」
「……お前が来ると、その十倍は目立つんだ……」
「まあまあ、気にしない気にしない」
 にこにことルリの言葉を受け流しながら、資料に触れた彼女の名はイズン。ファミリーネームはルリも知らない。階級は少佐。
 レイナンの人間は先程の青年や、ルリのようにほとんどが、黒髪、黒目を特徴としているのだが、彼女はふわふわのカールを持った銀髪、緑目だ。目立つ所以とはこの事である。今も彼女のその髪は、零れんばかりに光を浴びて煌いている。
 普通なら彼女は「異色」を好まない人間の目の敵にされているのであろうが、イズンには微塵もその様子が見受けられない。彼女が持つ天然な性格のお陰なのか、それとも神々しさを見せるまでのその容貌のお陰なのか、はたまた彼女が持つ二つ名――「魔女」のお陰なのかはよく分からないが、ルリが気にするまでもないようであった。
「……なあ、……」
 容貌、で先程の青年をふと思い出したルリだが、それをイズンに問い質そうとし、途中で口を閉じた。
「何? そんなに私の隣が嫌なの?」
「いや、そんな訳では……」
 やや焦って否定しながら、イズンが知っている訳はない、と思い直した。イズンもルリと同じで前線に立つバリバリの戦闘要員だ。情報部員でもない限り、他の幹部の事はルリ以上に知る事はないだろう。
 ……私に、他の幹部についての興味関心がなさすぎるのか?
 再び心の中に浮かび上がってきた疑問に、ルリは内心で頭を捻った。――そうかもしれない。イズンはこう見えて鋭い感性も持ち合わせている。もしかしたら、イズンはその青年について面識があるのかもしれない。
「やはりそうかも……」
「何? やっぱり嫌だから席を替わってくれって?」
「いやだから違うから……」
 思わず疑問の一端を口に出してしまってから、眉を吊り上げたイズンにルリは再び苦労するハメに陥った。



「皆そろったか?」
 入り口で重厚な声と共に足を踏み入れてきたのは、彼らを纏める元帥、ジョース・タリゴアだった。がっしりした体格、何年もの間、軍をその透徹した目で見通してきた彼からは、彼以外誰にも出す事の出来ない、何人をも跪かせてしまうようなずっしりとした雰囲気が漂っている。これを威厳、と言うのだろう。
 そして。
「あ……」
 彼の後ろから歩いてきた人物に、ルリは思わず立ち上がりそうになった。元帥の後について入ってきた人物が先程の青年であったからだ。
 どうやら彼を知らないのはルリだけではなかったらしい。素早く周りを見回すと、皆驚きと不審の目を彼に向けている。隣に座っていたイズンも、驚きの目で彼を追っていた。ルリの疑問は杞憂に終わったようだ。
「……イズン、知っていたか?」
 ルリは極小さな声で彼女に囁いた。イズンは目で彼を追いながらも小さく首を振る。
「いえ……。でも、フレイヤ達は知っていたみたいね」
「情報部だからな」
 驚きの表情、雰囲気が会議所を埋め尽くそうという中、彼女達の丁度反対側に座っていた、これまた異彩を放っている金髪、金目の双子の兄妹――フレイとフレイヤは何食わぬ顔で、資料を机の上に広げながら作業を続けていた。ちなみに彼らも階級はルリ達と同じ少佐だが、唯一違うのは、彼らは情報部として、国のあらゆる情報を収集し、管理する部に勤めている事であった。
「会議を始める前に、新たな幹部の紹介をする」
 元帥は自分の席にゆっくりと腰を落ち着けた。青年はその横に立ったままだ。
「ミコト・ソウゲン中佐だ。この度、大尉から特別昇進を受けた。皆、よろしく頼む」
 大尉から特別昇進、の言葉に大きなどよめきが会議室を満たした。しかも中佐だ。幹部、と一口に言っても、半分以上が前線に立って指揮する役割を持つ少佐で、中佐以上ともなる人物はほとんど存在しない。ルリも、イズンもほぼ特例に値すべき若さで少佐に昇進はしたが、彼――ミコトはそれ以上の特例であった。
「……! 元帥っ! 一体どういうことですかっ!」
「そうですよ!」
 中年にさしかかろうかという幹部達――主に次の中佐への昇進は確実だと目論んでいた少佐達が、一瞬の沈黙の後、口々に叫びを上げた。一気に会議所は騒然とした場所へと変化を遂げる。
「……ソウゲン中佐、一言述べたら席についていいぞ」
 そんな中、全く持って耳を貸さずに、元帥は小さな声でミコトに語りかけた。
「……は」
 ミコトは静かに了解の意を告げると、口々に好き勝手な事を叫び続けている少佐たちをざっと見回した。何も言わずに。ただその漆黒の瞳で。
 途端にその場は一気に沈静化する。
 まるでその場に死を撒き散らすかのような、暗黒の、漆黒の気が漂っているとルリは感じた。
 そして何よりも、決して親しみを誰に込めるわけでもなく、ただ、好き勝手な事を叫ぶ彼らを見下すのでもなく、ただ、全てを見通しているかのような透徹した瞳。それが何よりも彼の存在を一層異色なものへと際立たせている。
 ミコトは最後にルリへと目をやった。束の間、二人の視線が力を持つ。

 ――ふと、彼が口の端を上げて微笑した。

「この度、勅命を受けて中佐の位を拝命いたしました、ミコト・ソウゲンです。まだまだ未熟な点もございます、どうかご指導の程、よろしくお願い致します」
 その彼の口から出てきた言葉は丁寧なものだったが、誰にも有無を言わせない不気味な響きを持っていた。
 それは彼が着席し、元帥が厳かな声で会議開始の時を告げるまで、誰も動くことさえままならなかった程に。
「さて、幹部も揃った事だし、そろそろ会議を始めるとしようか」
 元帥の言葉が耳に響くまで、ルリでさえも彼を見たまま、その場に硬直していた。

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