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彼女達の前に置かれている資料から、今回の会議の議案を見る事は出来ていたが、果たしてルリの考えていた通り、ミコトという闖入者のお陰で議案を検討するどころの会議とはいかなかった。
ルリや、イズンのような若年組が冷ややかにその紛糾している会議を見つめる中で、中年層の幹部達がミコトや元帥に食って掛かっていた。
だが、元帥は勿論の事、ミコトでさえあくまでも表面上はにこやかに、だが有無を言わさず彼等の言葉を切って捨てているのを見るにつけ、ルリはいつもほとんど心の内にしまい込んでいる、驚きと言うその感情を表面に浮上させずにはいられなかった。
「……元帥も、これは良い人材を見つけてきたな」
「そうね。今回は頭脳派、なのかしら」
イズンも非常に興味深そうに、視線をゆったりとミコトに向けている。ルリはイズンの言葉に、微かに首を傾げた。
「頭脳派、か? ……にしては随分な若さだと思うのだが」
「それを言うなら、ルリ、あなたと同じタイプの人間なんじゃない?」
「……成長が止まった、か……一理あるな」
彼の不思議さを醸しだすその顔の幼さを見て、ルリはひとつ頷く。ルリも諸事情から、実年齢と身体年齢に十程の差が出ている人間だ。その事から常日頃、たった今元帥やミコトに噛み付いている幹部達に色々と厄介な面倒を持ち込まれているのだ。暗殺者を雇う者、自ら殴りこんで来る者、或いは暴力とは言わず、その危うさを保つ彼女の顔や身体を目当てに手を出そうとして来る者と、今日まで数え切れない程である。
まあ、もちろん全て返り討ちにしているからルリは今、この席に座れているのだが。
「それにしても、ほんと、不毛な会議ね」
イズンはため息をひとつつき、席に予め設けられていた花の匂いが濃く漂うお茶を一口、口に含んでいた。ルリも欠片ほどに残っていたやる気を全て失い、だらしなく頬杖をついてぼんやりと会議の行く末を眺めている。
「本当だな。何の為にわざわざここまで来たのか」
ルリもイズンの言葉に頷いて、お茶に手を伸ばした。彼女の視界の中には、丁度元帥の姿が必然的に入る事になる。
その時、ほんの僅かな時間、元帥はルリを見つめ、そしてひとつ頷くという仕草をしてみせた。
ルリは一瞬躊躇し、そして何事も無かったかのようにお茶器を手に取り、ゆっくりとその薄緑のお茶を口に含んだ。
甘い香りが鼻につく。
その一瞬、隣に座っているイズンでさえも何も気付かなかったその元帥の仕草で、ルリのこの後の予定が全て入れ替わってしまった事に、ルリは内心でため息をついた。
どうせ、また碌でも無い事なのであろう。
再び不毛な会議を見つめる事に戻っていったルリの姿をただひとり、ひとりの少年、いや青年と言うべきなのであろうか、今回の会議の主題者となるべき人物が片目で、その動作を見つめていた事に、ルリは気付いていなかった。
「ルリ、この後は何か予定あるの?」
その後、ようやく、ようやく、本来の会議の内容に入り、既に今までの討論で疲れ果てていたその場は、何と言うか、なし崩しに終了していった。
ひとつため息をついて、伸びをしたルリの横で、イズンが片肘をついて、ルリの瞳を覗きこんできた。
「……ああ。残念ながら、非常に面倒くさい予定がある」
「そう。じゃあ、今度、久しぶりに飲みにでも行きましょ?」
イズンはその「面倒くさい予定」の内容に深入りする事はなく、ひとつ提案をしてにっこりと微笑んだ。
ルリはその彼女の大らかさと、決して深入りはしないが、それでも付かず離れずの距離を保ってくれる事に感謝の気持ちを覚えつつ、イズンに僅かな笑みを浮かべた。
「……ああ」
その笑みを受けたイズンは、くるりと濃紺の軍服の襟を翻し、ゆっくりと、窓からの陽が差し込む中に紛れ――、そして扉から消えていった。
イズンだけではない、ルリの反対側に座っていた、フレイとフレイヤもイズンに声を掛けつつ退散していき、今回ミコトに対して数々の悪口雑言を浴びせかけた同階級の男性達も、今はただ、その面持ちに濃厚な疲れを貼り付けて退散して行っていた。
そして、ふとその男性達に目をやってミコトの事を思い出したルリは、ミコトが座っていた席に目をやる。
――そこには、未だ彼が座っていた。
彼は、もう冷め切っているであろうお茶を啜りながら、ぼうやりと、しかしどこか覚醒している目つきで、机に置かれていた書類に目を通していた。今、その場に彼が座っている事に、彼女は表情には出さないものの、内心で凄まじい程の驚愕の意を示していた。
彼も、「そうなのか」
最後に、元帥の隣で、今回の書記的な業務に徹していた青年が退出していく。彼の手で、開かれていた会議室の扉が、重厚な音を持って、ゆっくりと閉じられていった。
それを確認した元帥は、ゆっくりとミコト、そしてルリに視線を移していく。
「ルリ。もう分かっただろう。今回、ソウゲン――ミコトが、中佐に昇級した、『本当』の理由が」
ルリは元帥の問いに、ゆっくりとため息を付く事で応じた。ミコトがその様子に、にや、と不敵な笑みを浮かべる。
だから、私のあの事件の真相を知っていたのか。
彼女の心の中に、悔しいとも、安堵とも言えない気持ちが混ざりあって、浮上していくのが分かった。おそらく、顔には今、無表情とも、憮然とした表情とも言えない表情が浮かんでいるのだろう。
元帥は、そのルリの反応を初めから分かっていたかのように、ただ拗ねている子供を前に、苦笑している親のような表情を浮かべた。
「悪い悪い。悪気があってこんな事をしているつもりじゃないんだ。分かってるだろう?」
「……それは勿論ですが……人が悪い」
ルリはひとつため息をつく。普段からほとんど感情を面に出すことの無いルリであるが、唯一元帥の前では、僅かながら感情の波が目立ってしまう。
それはルリにとって、尊敬でもあり、憧れでもあり、信頼の証でもあった。
「まあまあ、そんなにムキなるなって」
元帥は暖かい笑顔でひとつそう言うと、すぐさま軍人の顔へと戻っていった。その表情を見て、ルリも、ミコトも表情を引き締める。
「二人でチームを組んで、極秘に行ってほしい仕事がある」