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「はい」
「嫌です」
「……」
 元帥の言葉に、二人が両極端の反応を瞬時に見せた。ミコトが無言でルリの表情を伺う。
「……そんなに嫌がらなくても」
「いいえ。私はどんな汚い仕事でも引き受ける覚悟はありますが、コイツと組むのだけはぜったいに嫌です!」
「まだ一言ぐらいしか喋ってないのに、何でそんなに俺の事を嫌うかね」
「お前を嫌うに至る経緯なんて、あの一言で十分だ」
「へえー」
 ミコトは頬杖を付きながらルリの顔をまじまじと眺め、決定的な一言を放った。
「そうか、もしかしてお前、負けず嫌いってやつ? そんなにアレを知られるのが嫌だったなんてな」
「……!」
 途端、ルリの頬にカッと赤く朱が差した。 彼女は自分の感情に任せて一瞬の内にたんっと地を蹴り、鮮やかに夕陽を受けながらミコトが座る椅子の背後に着地する。
 それと同時にすらりと響く、抜刀の音。
 元帥がやれやれとため息をつく前で、ルリは持っていた中剣を一瞬で引き抜いて、ミコトに斬りつけていた。
 ミコトも焦りをまったく感じさせない動きで、腰に付けていた短刀を一瞬にして引き抜く。
 会議室に澄み切った金属音が鳴り響いた。
「ルリ。会議室では剣を抜くことは厳禁だったろう」
「!」
 唐突な二人の動きにも動ずる事が無い、元帥のどこか面白がった言葉。
 ルリがしまったという表情でその場に固まった。
 ミコトがその場の雰囲気に我慢が出来なくなった様子で、ついにくすくすと笑い始めた。
「もしかしてこの人、突発的な行動が多いんですか?」
「……さあ、どうだろうな。それはこれから見極めていけば良いだろう」
「ちょ、ちょっと元帥?」
 ルリの明らかに自分が悪い雰囲気に、元帥はからかうように笑いを見せていた。
「さて、先程も言ったように、この場では剣を抜く事は厳禁だ。さて、それを見た私は、この場でお前に罰を与えねばならない」
 元帥の言葉に、ひとつため息を付く、ルリ。
「了解いたしました。それで、罰とは?」
「ここにいるミコト君と組んで極秘に捜査を行ってもらう」
 ルリはきょとんとした表情で元帥を見つめると、ひとつため息をついた。
「……かしこまりました」
「それで良い」
 ミコトは面白そうにその場の雰囲気を見守っていた。
 ただその瞳にほんの僅か、暗い翳りが浮かび上がっていた。


「お前達にな、とある集団の調査を行って欲しい。これが国の命令であると知られずにな」
「……それはどんな集団なのですか?」
 ようやく自分の席に戻ったルリが訝しげに問う。ミコトは何も言わず、ただその眉をほんの僅か、顰めていた。
「そうだな。一言で言えば、この国の王家に反発する、レジスタンスの集団だな」
「レジスタンスの集団?」
 ルリは元帥の言葉の一部を鸚鵡返しにしていた。
 何故軍の幹部達の中でも彼らだけがその仕事を請け負っているのか。その答えは簡単かつ、難しいものである。
 いつの時代も、国の政治には闇がつきものだ。その闇をこのレイナン国では、幹部の中でも特に突出した力を持つ者達が引き受けているのだ。
 誰がその「闇」なのか。それはこの国では元帥と王のたった二人しか知らない。ルリ達も自分がその「闇」であるのは知っているが、情報漏洩を防ぐ為に他の誰が「闇」なのかは分からない。
 名前さえも無い、組織。それが彼らなのだ。
 元帥はルリの言葉に頷いて、窓の外を見た。そこには赤い陽も落ち、遠くから闇がゆっくりと、だが着実に押し寄せている。
 闇。
「そう。だが、どうやらこの問題は複雑化しているようだ。……隣のアレイグル国の事を知っているか?」
 ルリとミコトは、同時に頷いた。
「はい、ほんの一月前に王城にいきなり火を掛けられ、壊滅したという事件ですよね」
「そうだ」
 聖地の四国の内の一国、アレイグル国が突如国民の一斉蜂起による反乱で崩壊したという事件。聖地では一番遠い位置にあるレイナン国でも、それは有名になった事件だ。
「なるほど。まさかですが、その時の反乱分子とこの調査は関係があるのですね?」
 手を組んでじっと一点を見つめていたミコトがぼそりと呟いた。ルリがぎょっとして彼を見つめる。
 元帥はただ重々しくひとつ、頷いた。
「そういう事だ。さすがだな。これは噂でしかないから、私も確かな事は言えん」

 ――くれぐれも、気をつけて調査してくれたまえ。
 
 二人はその言葉に、静かに頷いていた。




「元帥」
 すっかり陽も落ち、明かりが付いていない会議室で、ミコトはそっと上司の職名を呼んだ。
 そこにはミコトと元帥のみだ。ミコトを鋭い視線で睨み付て出て行ったルリの姿を思い出し、そっと偲び笑う。
「なんだ」
「……駄目なのは分かっておりますが。受け取って頂けませんでしょうか?」
 ミコトはそう言って、襟の中からひとつの書状を取り出した。
 元帥はそこに書かれている三文字を呼んで、一笑する。
「受け取れんな。そもそも、お前をこの位置に付けたのは私では無いのだから」
「……どうあっても、でしょうか?」
「ああ」
 元帥はひとつ言い放つと、そのままミコトを振り向かずに会議室を後にしていた。
「……」
 彼はそっとその姿を見送り、手にしていた書状を握り潰す。
 そこには。
 ――退役届、と書かれている。几帳面な文字で。

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