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「フレイヤ! フレイ!」
 がちゃん、ばん。叫び声と共に騒々しく扉を開ける音がして、部屋で仕事の後片付けをしていたフレイヤとフレイの双子は、半ば面倒そうにその声の主を見た。
 そこには、二人の予想通り、異端の彼らを侮蔑の目つきで見る同僚を冷淡にあしらっている、ルリの姿があった。
 いつも無表情の彼女にしては珍しく、眦を吊り上げている。周りにもフレイヤとフレイの部下はいたが、彼らは遠巻きにその姿を見つめているだけであった。
「随分騒々しいわね。部屋は静かに入ってくるって習わなかったの?」
「習ってない」
 ルリはむっつりと言うと、どさりと傍にあった椅子に座り込んだ。いつもながら彼女は怒ると友人に対して傍若無人な態度になる。そんな彼女をからかうのも一興だとルリの友人達が感じているのは、公然の秘密だ。
「それで? 何でそんなに怒っているんだい?」
 ルリに対してやや眦を下げながら、フレイが小首を傾げた。見ようによっては、小さい子供をあやすお兄さんにも見える。
「――……別に怒っていない」
 ルリもどうやらそう見られているのを感じ取っているのか、そのむっつりとした表情は変えずに返す。
「じゃあ、何しに来たんだい? ここは家ではなくて、執務室なんだよ?」
 勿論そんな事は承知だよねと存外に匂わせながら、フレイはにこりと微笑んだ。
「……調べたい人がいる」
「それは特権乱用って言うのよ、世間一般的には」
 フレイヤの言葉に、ルリは勿論だ、と頷いた。
「特権乱用にならない、普通に公開されている範囲で良いんだ」
「なるほどね。確かにそれは少佐であるルリには知る権限はあるねえ。で、誰の事を知りたいんだい?」
「……ミコト・ソウゲン――……中佐について」
「……」
 ルリがその名を口にすると、途端にその部屋がしん、と静けさを増していた。ルリと直接話していた二人だけでなく、仕事の片付けをしている彼らの部下も、どことなく話を中断して、彼らの話に注目しているようである。
 その幾分温度が下がった執務室をぐるりと見回して、ルリは小首を傾げていた。
「何だ? 奴にはそんなに問題があるのか?」
 ルリの何の深みも見られない、単純な疑問にようやくフレイヤがぎこちなく笑みを浮かべた。
「ルリは知らないのも当たり前ね。あなたとは違う部隊に彼はいたから。……前の戦争を覚えているでしょう?」
「……ああ」
 そう言われてルリは、つい数年前に勃発したレイナン国と、隣のタープス国との大戦を思い出していた。数年にも及んだ激戦で、何とか聖地中央に鎮座するレスティン国の仲裁により、同盟を結んだものの、今もレイナンとタープスの仲はあまり良くない。お互いの国に、それぞれ妃と言う形で国の姫が交換されていなかったら、今も戦争に突入しているかもしれないのだ。
 ちなみにその時ルリの地位は軍曹に過ぎなかったが、その時の戦功を認められて、というか、元帥に「発見」されて、少佐の地位へとのし上がっていたのである。
 だがそれがどうしたのだろうか。ミコトも、その大戦で大いなる戦功を挙げていたのだろうか。だとしたら、ルリもその名を知っていただろうし、寧ろ彼女よりも早く昇進しているだろう。
「ルリは忘れてしまったかしら。あの戦争の終盤で、両国の一個中隊が全滅した事件を」
「――ああ。忘れる訳が無い」
 ルリは苦々しく返した。
 ある日、ルリ達の近くで戦闘をしていた中隊の緊急信号を見つけたのは彼女達だったから。忘れる訳も、ない。
 敵味方、二つの花火が上がり、明らかに不穏な状況を鑑みて咄嗟に駆けつけたのだった。
 そして、駆けつけた先にあったのは、今まで見た中でも最悪の中に入る光景であった。今思い出しても思わず眉を顰めてしまう。
 ――外の、開けた場所にも関わらず、そこには濃厚な血の匂いが充満していた。血で汚れた大地。そこにばたり、ばたりと倒れ伏す幾人もの兵士達。
 彼らからは呻き声などの声さえも聞こえず。

 そこは完全なる死地であったのだ。

「あの事件の当事者と言われているのが、当時ただの三等兵であったミコト・ソウゲン。今の中佐よ」
「えっ……?」
 フレイヤの唐突な発言に、ルリはぽかりと口を開いたままフレイヤを見つめていた。
 あの血の匂いの中に、ひとり立ち尽くす、黒の少年の姿がふと脳裏に浮かび上がる。
 その時の彼の顔に浮かぶ表情は……。
「確かなものは無いんだけどね。ただ、その時の死者の傷口から、使われた兵器などを考察していくと、そうなるの」
「――兵器……?」
 フレイヤの中の言葉を鸚鵡返しにしたルリに、彼女はええ、とひとつ頷いて、ひとつの資料を差し出してきた。
「……彼の兵器は、大きな鎌よ。彼のその強さと、尋常でない武器の形状から、彼はその中隊の中で『死神』という二つ名が付けられていたらしいわ」
 鎌。ルリは、そのどことなく不気味な名前を心の奥で反芻しながら、その資料に目を落とした。
 その資料には、基本的な彼の能力が書かれていた。名前、ミコト・ソウゲン。出自、レイナン国セーヴル。ソウゲン家については機密レベルSSS。年齢、二十七歳。身長……。
 それに目を通す分には、彼について、何も問題がないように思える。一般的な兵士の記録だ。
 ――機密の部分が多過ぎる事を除いては。身体能力、機密、レベルSSS。過去の経歴、機密、レベルSSS。戦歴、機密、レベルSSS。機密、しかも最高峰のレベルSSSの大安売りである。
 その事をフレイヤに進言すると、彼女は笑って、少佐以上の兵士の公開記録なんて、皆そんなものよ、と言った。確かに自分の記録も、以前興味本位で覗かせて貰ったが、あちこちに「機密、レベルSSS」と書き散らされていた事を思い出す。
「闇」の人間には後ろ暗い過去が多いのだろうか。そんな事を考えつつ、資料をフレイヤに戻した。
「……そういえば、フレイヤとフレイは、機密レベルの中身を覗けるのか?」
 ふとした興味本位で尋ねてみたのだが、どことなく侮蔑の視線が返ってきた。どうやらルリが機密レベルの内容を知りたいと、勘違いをしているようである。
「いやその、別に機密レベルの内容を知りたい訳じゃなくてな、その、私も機密レベルのものが多いからちょっと気になって……」
「私達が見れるのは、機密レベルSSランクまでよ。いかに情報部に属しているとは言え、この地位じゃ、ね」
「……そうなのか。じゃあ、なんでさっきの事件を知っていたんだ?」
 再び浮かんだ疑問に、今度はフレイが肩を竦めながら、本棚に手を伸ばしていた。
「そりゃあ、僕とフレイヤが、その事件の情報を収集していたからね。自然と機密レベルの話も収集する事になるさ」
「なるほどね」
 納得したルリはひとつ頷き、彼について少しばかり情報も聞けた事だし、じゃあそろそろ帰ろうかと、思案した時だった。
 控えめなノックの音が、執務室の扉から響いた。
「あら、お客様かしらね」
「そうか。じゃあ私もそろそろ……」
 帰ろうかな。そう思って扉に振り返ると、そこには。
 丁寧に会釈をしながら二人の執務室に入ってくる、ミコトの姿があった。


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