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「いや、そんな訳ではないが」
「じゃ、良いだろ。折角知り合いになれたのに、俺はお前の事をまったく知らねえし、さ」
 お前が俺の事を知っているよりもな。そう呟いて苦笑するミコト。その少し寂しげな笑いに、たちまち罪悪感のようなものが込み上げてくる。それをルリは何とか押さえ込もうとしていた。
「そうだな。で、何を知りたいんだ?」
「そうだなあ……。まずは年齢だな。お前、本当は幾つだ? 俺みたいに、外見と年齢に差があるみたいだよな」
 ミコトは真面目な顔に戻って、首を傾げた。確かにルリはとある事情から、外見と年齢に差がある。勿論その理由をルリは理解してもいるし、諦めてもいる。
 ただ、その外見と年齢に差があるのは、この世界の中のどこを探しても、自分ひとりしかいないと思っていたのだ。たった今まで。
 だが。今、目の前には、ルリと酷似した症例を見せている人物がいる。
「……ああ、そうだ。本当は二十五だ。……まさか今まで、私のような特異体質の人間には会うとも思っていなかったが、やはりお前もそうなんだな」
 そう言いながらも、ルリは確信していた。何せ、先程見た資料には、ミコトの年齢は二十七と明記されていたのだから。
「そうだなあ。明らかに成長が止まってるよな、この身体は。まあ俺も、お前の事を見るまで、俺と同じ人物がいるとは思わなかったな」
 まさか十何歳かの子供が少佐になれる訳もないしな。ミコトも苦笑しながらそう答えた。そこには、一抹ながら翳りが見えている事に、今更ながらルリは気付く。
「……どうして……?」
 ふと気付けば、脳裏に浮かんだままの疑問符をそのまま放っていた。言葉にしてもしばらく気付かないまま、数秒経ってからその言葉の意味に気付く。
「いや、その。……さすがにこれは癪に障る事、だったよな」
 一瞬、その場を気まずげな雰囲気が漂った。だが、その空気をミコトは笑ってかき消していた。
「気にすんな。その内、お互いに話せる時が来るかもしれねえじゃんか」
「……そうか」
 今までの、会議などで見てきたような、どこか冷たさの混じった笑いでは無く、屈託のない暖かい笑顔。その表情に、ルリの心にもどこか暖かいものが流れる。
「それにしても……本当は仕事についての話をしようと思ってたんだが、随分と脱線したもんだな」
 ミコトはそう言って、背筋を伸ばした。ふわり、と澱んだ夜に風が流れる。
「仕事?」
 怪訝に返すと、苦笑混じりの言葉が返ってきた。
「お前さ、俺がお前を脅す為だけにここに呼び出したと思うのか?」
「い、いや……そんな事……思ってた」
 再びしどろもどろになるルリ。だがおそらく、ミコトに取り繕った言葉で返しても、簡単にまた見破られるであろうことは分かっていたので、今度は正直に返した。ミコトはルリの言葉に、それじゃイジメだろ、と呟く。
「まあいいや。お前って本当に真面目な性格してんだな。……今俺らの上司から預かってきた仕事についてさ、少し打ち合わせしておこうと思ってな」
「……。それもそうだな。まず、私達が直に会って話し合うのは不味いだろう」
 どこか引き締まった表情で話すミコトに、自然とルリの言葉も仕事向けのそれになる。ミコトは、ルリの言葉にひとつ頷いた。
「そうだな。どこか、落ち合う場所を決めておかなきゃな……。お前、どこか良い場所知ってるか?」
「……そんな事言われてもなあ……私はかなり目立つから、あまり出歩いたりはしないんだ。住んでいる場所も寮だし……」
 困惑を滲ませた言葉に、ミコトもうーんと腕を組んで何事か考えているようであった。
「そうか。じゃあ、それも懸案事項に含めなくてはなあ。ひとまず、また連絡するよ。それまではお互いにひっそり情報収集って事で」
「……そうだな」
 ルリもため息をひとつ吐いて、頷いた。面倒で厄介な仕事だが、元帥に頼まれた以上、断るわけにはいかない。
「さてと……そろそろ帰って寝るかね」
 目的の話が一段落した所で、ルリは先程のミコトと同じように背筋を伸ばしていた。夜は暑い気候のレイナンでも、それなりに涼しく、鼻に含んだ空気が気持ち良い。
 ひとつ深呼吸をした後にミコトの方を見ると、彼は浮かない、そんな表現がぴったりの表情を見せていた。
「……まだ、何かあるのか?」
 ルリが首を傾げると、相手はハッとしたかのように顔を上げた。何かを言い出したくても言い出せないような、どこか困ったかのような、そんな表情を見せている。
「うーん……お前に謝った方が良いのかな、と思った事があってな……」
「……それは?」
「……怒らないか?」
 ミコトは今までのふてぶてしい態度とはかけ離れた態度を見せて、こちらを向いた。そうやって見せた表情に、ルリはやっと、彼が一番ルリに言いたかった言葉がこれなのだ、と確信する。心の奥底で。
「時と場合によるがな」
 ルリはそう言いながら、でも表情では別に怒らないと言った表情を見せた。まあ、普段から彼女はあまり表情が動く方では無かったのだが、ミコトは上手い具合にそれを読み取ったのであろう。
「……最初にお前に話しかけた話題があったろ」
「ああ」
 ミコトの言葉に、ルリは記憶を反芻しながら頷いた。確か彼女が「闇」として執行した事件の事を問いかけられたような記憶があった。それがどうしたのだと言うのだろう。
「実はな、どうして俺があの事の真相を知っていたかという理由は、……あの場にいたからだ、俺も」
「え」
 初め、ルリはミコトが何を言っているのか全く理解できなかった。しばらく自分の脳内でその言葉を勝手に反芻させて、そして理解する。
「……まさか。そんなはずは」
 無い。そう言い切ろうとして、はっきりとその言葉を言い切る事が出来ない自分に気が付いた。
 確かにあの時、自分は庭から侵入して、ことごとくの人を葬り去った。きっちりと、警察が、軍が来る前までに全て。
 でも。もしかしたら。
 ミコトが今、彼女の目前で放っている気配に、そんな不安がそっとかきたてられる。
 彼は、無であった。
 そして、闇、そのものであった。
 その、この夜に全て溶けてしまいそうな、そんな気配を今、ミコトはルリに見せている。それはおそらく、ミコトのもうひとつの一面なのであろう。
 この軍に来て、久しぶりにルリの背筋に汗が伝うのを彼女は感じていた。
 彼の纏う気配は、恐怖そのものであり、そしてルリが求めてやまない、安寧そのものであったから。
「あの時、俺はこうだったから。だからお前は気が付かなかったんだろ」
 ミコトは今までの気配を全て消して、元の彼に戻るとふっと苦笑した。元の暖かい気配を見せたミコトに、ルリの思考もようやく氷解する。
「……まさか、あれを見られてた、とはな」
 ルリはそう苦笑して、自分の掌を見下ろした。
 あの、血に塗れた自分。その姿は、彼にどう映っていたのだろうか。
 少しだけ、先程ルリが想像していた、ミコトが立ち尽くすその光景が浮かんでいた。
 空は、闇だった。明るい色は殆ど消え、真の夜が正に始まろうとしている。
 それは朧に月が浮かぶ、朧夜。
 その中で、ゆったりと揺れる、ひとつの灯。
 ミコトは、その明かりに端正な横顔を照らし出しながら、ひっそりと、しかしながらいつまでもルリの耳に残る言葉で、こう呟いていた。

「お前は、何の為に、その手を汚してまで戦うんだ?」

 その黒髪を血に染めてまで。
 その手を人の血に染めてまで。
 その無表情の中に、全てを押し込めてまで。
 ルリは、静かに、だがどこか自嘲的に笑っていた。
 そんな事は、決まっている。
 あの時から、ずっと、ずっと。

「守る為に。ただそれだけ」

 ミコトは、飄々と風にその髪をなびかせ、笑いさえ浮かべてそう答えるルリをただ見つめるだけだった。
 微かに、ほんの僅か、彼女の耳にくしゃり、という音が聞こえていた。

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